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瑠璃色のおひと

深海から彼を引きずり出すなど到底出来やしないのだ。そこは仄暗くとも決して居心地が悪いわけではなく、彼は進んで安らぎの場所としているのだから。



 テスト前の放課後の美術室は閑散としている。生徒たちの多くは教室や自習室を利用し、まさか私みたいに美術室で勉強しようと思い立つものはいない。五日前にはクラブも一時停止となるので部員もおらず、実質私がこの大好きな空間を一人占めする形となり何だか優越感が生まれる。
 一つ悪いところといえば、勉強中絵に見とれてしまう点。やはり先輩たちの作品は熱意や活気に溢れ自由気ままに描かれていて見事だ。後輩たちの作品もなかなか、友達の絵も素晴らしい。こういったものに囲まれるのは一種の幸せだ。

「あれ、先客」

 英語の勉強をして二十分、背後の扉が開いて男の人の声がした。同じ美術部のセツ先輩だ。声で挨拶する代わりにぺこりとお辞儀をする。
 セツ先輩――美術部では超がつくほどの有名人。彼は、ある意味噂の中心人物で、いつでも注目の的だった。
 コンクールに絵を出せば何かしらの賞を必ずもらってくる。パンフレットの挿絵や表紙デザインは毎回彼が任され、運動会の看板も彼の描いたクラスが優勝。有志による部門別絵画コンテストで二冠を達成し、学生向けの今年のとあるコンクールでは大賞をとったので、その絵は学校の正面玄関の壁に飾られていた。確か青を基調とした抽象画だった。
 一方、絵以外にはとんと興味がないようで、他はあまり宜しくなかった。とくに身だしなみ。髪は寝癖のまま(本人曰く、梳いてもなおらないらしい)、ところどころ絵の具でよごれたカッターシャツを着て(でもこれぞ美術部員?)、曇りかけた眼鏡をかけ(それでも端正な顔立ちは隠せないが)......というだらしない模様。言われたことをすぐ忘れるみたいで、友達に怒られては「ごめん、ごめん」と平謝りしていた。
 絵画に対する賞賛と本人自体のギャップが、良かれ悪かれ彼を有名にさせていった。

「三年生はテストが終わったばかりでしたよね。御疲れ様です」

「ありがとう。二年生は五日後からだったっけ」

「そうです。だから今英語の勉強をしていて」

「そっか。息抜きがてら、絵を描きに来たんだけど、お邪魔かな」

「いえ、そんなことは。どうぞお描きになってください」

「ありがとう」

 セツ先輩は机から椅子をおろし、イーゼルやら絵の具セットやらを準備室から持ってきた。筆を二、三本選び、ペーパーパレットに出した絵の具に絡ませていく。油絵を描くつもりの様子。
 前々から不思議な人だと思っていた、セツ先輩のことは。絵の上手さは確実で、絵にひたむきに集中する姿はかっこいい。なのに、それから視線を外せば彼はただの適当な人に映る。
 性格もよく分からない。空気と同化するほど大人しい。一人のほうが好きなのだろうか、群れている姿はあまり見かけない。仲の良い友達が数人いればそれでいい、と暗に主張しているように思えた。
 ときどきたたえる微笑はうっすら困惑していることがほとんどで、嘘っぽい表ばかりが見えて裏や奥は一切見えないのだ。見たいのに、見えない見れないもどかしさ。
 彼が大賞をとった抽象画を思い出す。「隠れ家」と題されたあの瑠璃色の空間は、昔何処かで眺めた海そのものだった。
 瑠璃色の水は、紛れもなく彼の最強の殻である。差し出した手に零れる一滴。それはただの雫か涙か。もしも涙なら、泣いているのは彼でなく私だろう。やわらかく拒絶されるほど、哀しいことはないのだ。
 私は彼が好きなのに、彼はそれに気づかず水の壁の向こうにいて私を遠ざける。本当の自分をさらけ出してもらえない虚しさでそろそろ限界がきている。
 
「いいな、油絵は」

 用意が整った彼は、ため息まじりに呟いてナイフで板に地塗りを始める。
 嗚呼、鮮やかな赤! 橙! 黄! 艶やかな緑! 紫! 黒!
 ごちゃまぜになった感情塗りたくって、爆発するように花火描いて、彗星の如き美しい線を引きまくって。ナイフで強く、筆で弱く。ペインティングオイルでツヤをつけていく手際のよさ。
 私は勉強など放って、彼の一挙一動に魅入る。難しげな表情。のあらゆるところに滲む彼の叫び。
 今、絵には彼の本音が、感情が、真実が鏤められている。なんてこと。絵を通して、私は初めて深海に潜む彼のヴェールの内側にいる。けれど、幻想的な地塗りも、次には全て瑠璃色で塗りつぶされるだろう。彼はそうして、そして彼は。
 深海。隠れ家。煌きの幼子。感情。深海。瑠璃色。情熱を隠す冷徹。やさしい、空の、海の、涙の、色。瑠璃色。深海。空。深海。どんなものでも押し殺す瑠璃色。
 嗚呼、彼が自ら深海から出てくれれば、瑠璃色の装いをやめてくれたら――。

「これ、ここにしばらく置いていてもいい。今日は地塗りだけで、来週あたりに続きを描こうかと」

 目が合う。彼にとらわれる。左手から鉛筆が落ちてはっと我にかえる。
 ずっと彼と絵を見ていたことに、彼は気づいていたのだろうか。絶対に入れてくれない、触れさせてもくれないその空間。私が寂しく羨ましく眺めていたことに。
 感情的だったさっきまでの彼はもういない。いるのは、冷静なふりをして困惑の笑みをはりつけた、冷たく痛い目で人を刺す何も受けつけないいつもの彼。

「え、えっと、後ろに名前を書いておけば大丈夫だと思います」

「分かった」

「……どんな絵を、描くんですか」

「具体的には決まってないけれど……絵の具を買い足さないとな、瑠璃色」

「瑠璃色、」

 息苦しくてしんどくて、そのくせ綺麗で魅了する海。身も心も引き裂く瑠璃色の水。彼の隠れる深海まで辿り着くこともなく、そこに私はますます溺れていくだけで。
 あぁあ、海なんて、瑠璃色なんて、貴方なんて、だあい、だあい、だあいきらあい。





ruriiro.jpg

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